高校の時、羅生門のその後のストーリーを想像して書くという課題にて初めて小説を執筆したときのものです。サムネイルは自分の中の下人をイラストにして描いてみたものです。
あの晩から幾度目の冬がやってきた。下人は陽に当たらず闇で生きる者となった。林の奥にある隠れ家から地を照らす光が落ちるとともに這い出ていく。その姿は人間というよりかは獣に近かった。周囲に人がいないことを確認すると立ち上がり猿の如く木を登った。都を見渡せる高さまで行くと、とある家に視線を向けた。
しかしこの視線は盗みに入ろうと様子を伺うものではなく、その家に住む一人の娘への恋心からくるものであった。下人と比べればその娘は少し裕福であるがゆえにこの恋は自分の心にしまっておかなければならなかった。木から降り月の光で反射する池を覗き込んだ
。そこに映るのは娘とは釣り合わない汚い罪人だった。池に手を入れてぐしゃりと水面に映る自分の姿を潰した。ため息をついたあと下人は都へ足を進める。娘の名は知らない。どんな名前だろうか頭の中で勝手に娘の名を思い浮かべながらすっかり暗くなった道を歩く。
適当に晩飯が見つかればいいとふらふらしていると突如体に衝撃が走る。何者かが自分を突き飛ばしたのだ。驚いた下人は強張りながら大声で言った
「何者だ、私は何も持っていない。」
目の前にいたであろう人影が自分の懐に一瞬のうちに入ってきた。反応が遅れた下人は死を覚悟するが、痛みは感じなかった。冷静になってみると懐に入ってきたのは震えている子どもであった。怖い目にでもあったのだろうか、下人はそっと肩を抱き聞いた。
「どうしたんだ、何かあったのか」
しかし何も答えない。小さく震えているだけである。慈悲をかければ自分が生きていくのが危うくなるため、あまり関わりたくはなかった。ため息をつきしがみつくその子供の手を引きはがそうとした時子供は言った。
「どうか、どうか私を見捨てないで」
言うと同時に涙をこぼしながら顔を上げた子供は下人が思いを馳せていた娘だった。下人は硬直しこれは悪い幻だと自分に言い聞かせ
た。あれだけ遠くの存在だった娘が目の前にいるわけがないと。
けれど娘は必死に下人に置いていかれまいとしがみつく。今晩の食物を探すことはできなかったが、これも何かの縁だと下人は連れて帰ることを決めた。下人は娘の手を取り、林の中の隠れ家へと帰った。
次の朝、いつもこの時間は寝ているのだが、自然と目が覚めた下人は重い体を持ち上げる。
隣には昨晩の娘が寝ていた。そっと顔を見るとやはりいつも見つめていた娘で違いなかった。遠くで見るのとは大きく違っていた。想像していたより細くとても小さい。触れたらそのままボロボロと崩れていきそうなほどに繊細な生き物だった。何はともあれまずは朝御飯を調達しなければ娘も腹が減っているだろう。そう考えた下人は娘の頭を撫でてから林から出た。
いくつかの芋を手にし隠れ家に帰ってくると
娘がうずくまっていた。何事だと持っていた芋を落とし娘に駆け寄る。声をかける前に娘から口を開いた。
「私を独りにしないでください」
少しなら平気だろうと思っていたが、どうやらよっぽどのことがあったらしい。怯えた顔で私に訴えるのだ。昨晩は恐ろしいことがあったのだと。下人は朝飯を食べながら娘の話を聞くことにした。
娘は周りより少し裕福だった。両親も優しく不自由はやはりあったものの飢えることはなかった。だが、娘の両親は実に非情であった
。やせ細った男が食べ物を求めても少しもやらず突き返していたのだ。一人分なら分け与えることは不可能ではないはずであった。しかし両親は一度あげればまた来る、一家を破滅に陥れると罵っては男を追い返した。実際一家を破滅に陥れたのは両親の過ちであった
。娘が寝ている間、両親は男に殺された。あの時食べ物を望んだ男だった。家にある食べ物を貪る男だったが、娘の存在に気づいてしまった。娘は家を飛び出し暗闇をひたすらに走った。後ろから追いかけてくる音がしていた。男の大声も聞こえた。
「必ずお前も殺してやる」
そしてたどり着いたのが下人だった。優しく問いかけてくれた時、下人なら大丈夫だと確信したという。
聞き終わった下人は、泣きながら芋を食う娘を抱きしめた。お前を必ず私が守ってやると娘に誓った。娘は泣き止むと下人の胸でまた眠りに落ちた。
眠っている娘が風邪をひかぬように火を起こすと娘を撫でながら日が暮れるのを待った。
日が暮れればまた下人は盗みにいく、でも今までとは違いリスクがあった。娘を置いていっても連れて行ってもどちらにしても不安しかない。例えば置いていったとしてその間に男がこの場所を見つけてしまったら。逆に連れて行って男と鉢合わせしてしまったら。ぐるぐると回る思考、昔のように決断を下せないでいた。
日が暮れ始めた頃、娘が目を覚ました。まだ眠いのか半目の娘に言った。
「おい、娘。これから晩御飯を取りに行かなくてはいけない。」
こくりと頷いた娘も言った。
「私は娘ではありません小雪と申します。」
娘に合う綺麗な名だった。小さな雪と書いて小雪、娘の可愛らしさと、雪のような儚さが美しいと思った。落ち着きを取り戻していた娘は子どもらしさは残るものの女性の色気も漂っていた。何分か見とれてから下人は首を振った。小雪に留守番をしているかついてくるか聞いたが、聞くまでもなかったようだ。
それから暫くは特に何の問題もなかった。男にも出会うことはなく、食い物も手に入った
。娘と暮らし始めて一ヶ月が過ぎた頃、雪が本格的に降り始めた。下人と娘はより親密になっていた。下人の心は恋というより親が持つような愛情に変わり、逆に娘は下人へ恋心を抱いていた。娘が恐れていた男は結局一度も会うことはなく安心して生活をしていた。隠れ家は比較的暖かく凍え死ぬこともなかった。娘は日が経つごとに美しさを増していった。外に出るたびに下人は気が気でなかった。いつ、誰が小雪を連れ去っていってしまうのか。だが、金持ちの男に好かれれば今よりは幾分かマシな生活をさせてあげられるのではないかと考えていたのである。
とある朝、下人は娘に秘密で都へ降りて行った。都の川で翡翠色の小雪に似合う髪飾りが落ちていたのを思い出したからだ。小雪が起きないようそっと出て行くと胸を弾ませながら雪の中に消えた。
雪が強くなり始め、下人は嫌な予感がした。
帰る道中、小雪の悲鳴が聞こえた気がしたからだ。真逆、そんなことはないはずだ。嗚呼
、置いていくんじゃなかった。なんてことをしてしまったんだと雪の中を走った。林が見えてきたあたりでやはり小雪の声が聞こえた。金切り声と鳴き声が混じった声だ。悪い予感が当たったと下人は狼狽した。
駆けつけると小雪の上に男が跨り、小雪の首に刀の先を突きつけていた。今にも白い雪に小雪に血が流れそうであった。
怒りが爆発した下人は雄叫びをあげながら刀を抜き、男に襲いかかった。男は小雪から離れ下人に向かっていった。刀と刀がぶつかり合う音が響き渡る。男の目は鋭く殺すことしか考えていないようだった。小雪の前で人は殺したくない、だがこいつを殺してやりたい
。生まれてきたことを後悔させてやりたい。
下人は恐ろしい顔つきで男を睥睨した。あまりの迫力に男が動きを止める。静寂が雪を包んだその時、小雪が男を背後から刺した。もちろん、完璧な奇襲だった。
しかし、見上げるとそこには見慣れた下人の顔があった。娘の奇襲が見えていた下人は、娘の手を汚すまいと娘の刃をその身に受けたのだった。生ぬるい赤黒い液体がみるみる自分の手を染めていくのを、娘は声も出せず見つめた。男はどさくさに紛れ姿はすでに見えなかった。小雪は状況の把握が全くできず、ただ立ち尽くしていた。少しして下人が膝をついて小雪の足にしがみついた。
小雪は全身を震わせながらそっとしゃがみ下人の顔を手で包んだ。下人は息を荒げながら
、それでもなお笑顔を作ろうとして袖に入れていた神飾りを取り出した。
「小雪に、合うと思って」
小雪は手に取り、困惑した表情を向けた。するとまた下人が途切れ途切れに言った。
「頼むから笑ってくれ、笑顔が見たい。」
小雪は大袈裟に頷くと笑みを浮かべて、下人からもらった髪飾りをつけながら、下人の手を握りしめる。そのまま下人は倒れ、息も少しずつ小さくなっていった。
「愛しています。愛しています。あなたを愛しています。だから私を独りにしないでください。」
震えながら冷たくなり始めている下人の手を必死に温めようと息を吹きかけた。
下人は最後の力を振り絞り小雪を抱き寄せると言った。
「私も愛しているよ。」
とたった一言だけ。それも小雪と下人では意味が違うことも知らずに。
下人が完全に冷たくなる前に小雪は自ら命を絶った。もう動かぬ愛する人に口づけをして
白く残酷な雪の中二人は息を引き取った。
その後名も知らぬ誰かによって羅生門に投げ捨てられた二人の手は固く繋がれたままで、その顔はとても穏やかであった。
羅生門は二人の墓碑となった。
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